映画『ROCKY THE FINAL(ロッキー・ザ・ファイナル)』を観てきた。
ホントは『蟲師』を観る予定が、バーゲンついでと午後のPTAを控えて、上映時間に適した『ロッキー』選択というノリ^^;。本日から公開。入口でロッキーの特製ポスターを貰った。

世界中で大ヒットした名作『ロッキー』シリーズの完結。『ロッキー1』から30周年の昨年12月に全米公開された。
先日NHKBS2でずっと放送された『あしたのジョー』は割と観ていたが、”ボクシング”そのものにも”ロッキー”にも特別な思い入れはなかったので、観る前はあまり期待をしていなかった。
だけど終わってみれば、清々しい感動に包まれ、明日への活力に満たされている自分がいた。
ロッキーを知らない人でも、年齢性別も問わずに、誰もが見れるエンターテイメント作品に仕上がっている。

愛妻エイドリアンが他界後、己の夢のために情熱を燃やして、リングにカムバックするロッキー・バルボアの生き様を描く。
前半は過去の『ロッキー』へのオマージュを映像に散りばめながら、彼の愛するものたちとの交流をじっくり描く。息子ロバートとの父子の確執と和解、旧知のマリーとの心の触れ合いが、早くも涙腺を刺激する(;_;)。
彼らの台詞のどれもが、魂が篭っているゆえに胸を打つ。「自分を信じなきゃ人生じゃない」「人生ほど重いパンチはない」「年はとっても、心は年をとらない」「誰もが情熱を持ってるが、燃やせる人はそういない」。ことにシルベスター・スタローンの分身でもあるロッキーの言葉は深くて本物だ。たぶん年齢を重ねた分だけ、いっそう心に染みるだろう。

ゲームに触発されたとはいえ、ロッキーが何故また闘いに身を投じようとしたのか具体的な説得力は薄い。激しいトレーニングもファイトシーンもアッサリ目で、ちょっぴり物足りなさもある。
だがそんな理屈も思考もロッキーが全身で超越する。台詞の全てを彼は身体で伝えてくれる。

圧倒される観客の嵐の中で繰り広げられるファイトシーンは、リアリティ溢れる映像だ。マイク・タイソンのサービスまである。パンチの応酬の度に背けてた目はいつしか見開き見入っている。「観客総立ち!」では、自分まで立ってしまいそうな興奮に駆られる。ラストは映画の観客と共に「ロッキー!」と叫びたい衝動にかられながら、涙が後から後から流れてとまらなかった(;_;)。
勝ち負けじゃない、人生は前向きに生きることが大切なのだ。「ロッキーのテーマ♪」は己を奮い立たせてくれる。

EDシーンはロッキーを愛する人たちの晴れやかな顔と動き。
昨今は銃による犯罪やテロが絶えないが、銃社会アメリカの映画には珍しく、”銃”も”ナイフ”も出てこなかった。
あるのは”拳”のみ! 赤く熱い血が流れている”人間”が持ち得る、人生を切り開く”希望”だ。

さて日曜は、息子と一緒に毎年恒例の『クレしん』と『コナン』を観る予定。『スパイダーマン3』も一緒なんて勘弁だな^^;。
続いて、映画『ナイトミュージアム』吹替え版。
「夜の博物館」ではなく、「博物館の夜」なのか。
場内は満席で、子供たちの笑い声や手をたたいて喜ぶ姿であふれ活気づいていた。

息子の信頼を得るため、博物館の夜勤警備員の職に就いた父親が体験した、動く展示物たちと奇想天外なアドベンチャー。
ファミリー向けのファンタジー&ハートフル・コメディだが、奥深いメッセージも忍ばせてある。

観る前から想像はしてたが、恐竜のホネや動物のはく製や過去の偉人たちの人形だけでなく、ジオラマのミニフィギュアまで動き出すのが面白い。とりわけミニフィギュアたちがチョコマカと可愛かった。みんなが意表を付いた動きで引っ掻き回すので、前半は殆どドタバタコメディでコントちっく。子供たちの笑いのツボをくすぐる。

主人公ラリー役のベン・スティラーが実に上手い。オーバー過ぎるコメディ・アクションや表情もたまらなく可笑しくて魅力的。檀臣幸の流暢で畳み掛ける台詞が更に盛り上げて楽しい。
ラリーが動的なら、彼のパートナー的役割となるテディ役のロビン・ウィリアムズは渋くて静かで落ち着いた味。岩崎ひろしの声はコメディ感を抑えた頼もしい演技で、ラリーとの名コンビぶりを際立たせる。

しかしこのラリーはいささか出来すぎた男^^;。仕事が続かず引越しを繰り返すダメダメ父さんだったハズなのに、俄然歴史を勉強して頭に叩き込み、対抗策を繰り出していく。こんなにもアクティブで前向きで知性的な男じゃないか。気さくで明るい性格と俄か仕込みの知識が人心を掌握するのか、次々と味方や仲間を増やし、いつの間にかリーダーとして指令し皆を動かす存在となってしまう。たった2〜3日で早くも博物館を牛耳れるとは、実は彼は隠れたヒーロー気質だったのか。展開上仕方ないとはいえ、あまりに都合の良い締め方ではある^^;。

一癖二癖ある3人の爺さん達が予想以上にユニーク。包容力のある感じの中村正&厭味ばかりの永井一郎&クールだがとぼけた坂口芳貞と声のユニットも最高。
オーウェン・ウィルソン演じるジェドって人物はよく知らんが、森川智之が勇ましくもヘタレっぽく喋っててキュート。オクタヴィウス役の水野龍司とのやり取りも愉快。
3000年以上前の青年の声が小森創介で、唯一(?)格好良くて癒されるw。

たった一日で勤務場所を止めるのは愚かなことかもしれない。辛抱強く苦い経験を繰り返した後にやがて光明も見える。それが家族の信頼をも得る。そういう教訓も含まれていそう。
”歴史を知る”ことは”生きる”上で糧となる。アメリカ万歳の歴史がメインだったが、私も知らないことが多かった。息子は早速「初代ローマ皇帝オクタヴィウス」に興味津々。
大切なのは、”相手を知る”ことで、言葉の壁や時空を超えて”信頼”や”愛情”も生まれること。本当に奇跡だったのは、彼らが”動く”ことではなく、彼らの”結び付き”だったことに気づかされる。

自然史博物館ときいて真っ先に浮かんだのが、上野にある「国立科学博物館」。地下地上含め規模もデカイが、あそこの展示物も動き出したら楽しいだろうな。恐竜のホネだけでなく、日本狼のはく製も目撃できるかもしれない。
そして日本の歴史を振り返った、新たな発見と勉強があるハズだ。
アレは持ち運びできて、他の場所でも動くだろうから、『ナイト…』続編もあり得そう。
映画『ハッピーフィート』と『ナイトミュージアム』をハシゴで観てきた。もちろん吹替え版。息子も付いてきて、親子で鑑賞するも高く付く^^;。
新学期前とあって、ファミリーでシネコンはごった返し。とり急ぎ雑感のみ。


映画『ハッピーフィート』吹替え版。
アカデミー賞長編アニメーション受賞作品。日本で言うと『時かけ』みたいなモン?
皇帝ペンギンの国のはみ出し者が、苦節の冒険の末に自立し、やがて故郷に錦を飾る話。

ミュージカル・アニメなので歌や踊りが唐突に出てきて、アニメ『アタゴオル』を思い出させる。歌は英語でリズム感は心地よいが、英語の歌詞そのものは心に染みてこない。大人には懐かしい歌もあれど、子供には馴染みのない曲ばかり。どうせなら日本語の歌で聞きたかったかも。EDテロップでNEWSが歌うイメージソング「星をめざして♪」が流れるが、日本語だからこその嬉しさを感じた。

最先端のCGを駆使した映像はリアル以上のリアルさで素晴らしい。南極大陸の氷が崩れるシーンや空や海など、白と青の世界は目にも眩しく絶品。
ペンギンたちも表情はさておき、愛くるしい動きや細部の毛並み、膨大な数のシーンなども凄いのひと言。流氷に滑ってすっ飛ばすシーンも、ジェットコースターのようなスピード感と臨場感だ。
動物や自然の描き方は流石だが、やはり人間をCGで描くのは不都合だったか、唐突に実写になっていたりと違和感もある。

物語も後半にかけてちょっと戸惑う。前半のマンブルは本当に愛らしい。歌えないけど踊れるマンブルは、ペンギン失格のレッテルを貼られて追い出される。「みんな違ってみんないい」そんな言葉で励ましたくなる。だが彼はとても前向きで逞しくて、親から離れて自立しようとする。それは健気で立派だ。だがその目的がエイリアンの説得というのは、途方にくれるようなデカいことで、具体的な方法もなく不可能ではないか。彼の自立を応援したくなる気持ちがちょっと萎える^^;。
リアルに近いファンタジーが、急にリアルなものと合体し、無理やり一気に丸め込んで、ファンタジーのサクセスストーリーにしてしまう。そこにはマンブルの苦悩も自力も昇華されず、結局は他力本願の結果に落ち着いていく。

人間の環境破壊への警鐘とか、異端なものに対するシビアな社会への風刺という見方もある。でもこれは、大きなもの古きものに敢然と立ち向かっていく若者たちの姿を描いたもの。かつての人間が持ち得ていた、反骨精神や不屈の根性をペンギンに託したメッセージなのだろうと思う。昨日書いた『地球へ…』ともオーバーラップするが、30年前ならもう少し素直に感動できただろう。

声優初挑戦の手越祐也のマンブルはまずまずの出来か。ブラザートムのラブレイスとラモンの二役は個性的で上々。マンブルの父メンフィス役のてらそままさきがお目当てだったが、ルカ先生のような柔らかくも男前な声で、苦悩ぶりをじっくり表現していた(*^^*)。マンプルの母ノーマジーン役の冬馬由美は深い愛情を込めた美しい声。二人とも最後も見せ場があって良かった。
映画『バッテリー』を観てきた。
中学生の天才ピッチャーが、野球を通して仲間や友人や家族との関係を築き、心を通わせ絆を深めていく青春群像劇。

原作を知らない私は、他と比較することもなく、純粋に夢中にさせられて、ひたむきに走っていく少年たちに心から感動を覚えた。
生き生きときらめく少年たちが作り出す世界はまさに直球勝負。何の嘘もてらいもない。現代の学校教育や進学問題、仲間や家族との軋轢や葛藤も盛り込みながら、岡山の色彩あふれる風景と前向きで熱い少年たちがすべてを飲み込み吹き飛ばしていく。忘れていた何かに気づかされ、彼らの言葉一つ一つが胸をうつ中、いつしか涙が頬を伝ってとまらなかった(;_;)。この涙は、同じ角川繋がりだが、『GAMERA〜小さき勇者たち〜』で流した涙とよく似てる。心が洗われる涙だ。

原田巧役の林遣都は、無言の台詞が多く、それだけに強烈な目力と魅力ある表情が印象的。勝地涼がスクリーンに登場した時を彷彿とさせる。
永倉豪役の山田健太は、大らかで懐の深い笑顔がとにかく素晴らしい。彼の笑顔で画面がパッと明るくなり癒される。時おり見せる真剣な表情も男らしく、将来の大物ぶりも感じさせる。この映画は、ムードメーカーの山田くんの存在で成功したと言ってもいい。
二人とも実年齢は15歳だから、13歳の米谷真一や大賀らと比べると、中一にはちょっと見えない。中学生の2年の開きって結構あるから。でもこの4人は登場時と比べ最後のほうでは、身体もちと大きくなった感じで、演技にも逞しさと幅が出ていた。撮影中の彼らの急激な成長ぶりを思わせて眩しいかぎり。

「タクミ」「たくみ」と名前が飛び交うと、あの拓海とか、あっちの託生とかも浮かぶw。弟の青波は”海”を思わせる名だ。かわぐちかいじ先生の漫画にも『バッテリー』があるが、確かに男と男の出会いと友情を描いて運命的なものも匂わせる。
孤高の天才ピッチャー巧は、まさに”野球の王子様”(笑)。あの長めの髪も切って欲しかった。敵野球部メンバーが出た時は、映画実写版『テニスの王子様』が過ぎって苦笑。だってとても中学生には見えんよ^^;。渡辺大は格好良かったけど。
我が息子やその仲間たちの姿とも重ねながら、母親の立場で観ていたが、巧の母にはムカついて怒りまくり(~_~;)。巧や青波がああなったのも、全部お前のせいなんだよ!
でも巧の表現の不器用さは母親譲りだったのね。長男は母に似るw。母と息子の話でもあったのか。で、繭ちゃんとの関係は進展したんだろか。
ユニフォームぐらい自分で洗濯して干せw。ウチではそうさせてる。

「野球は気持ちを伝えるスポーツ」父が語る言葉にジンときた。どんな方法でも、人に自分の気持ちを伝えて、人の気持ちも分ろうとするのが大切。そこから思いやりや信頼も生まれる。
”バッテリー”は互いの信頼が大切だが、”ダブルス”も同じだろうと息子に伝えたい。
あさのあつこ作品を次に実写化するとしたら、『The MANZAI』を観てみたい。もちろんドラマCDとも比べながら。

 ̄ ̄ ̄
今日はホワイトデー。
前もって息子と一緒に用意したお菓子が12人分(~_~)。ギリとはいえ、返さねばならん。
相方からは、お花のクッキーとシャンパン入りチョコ。美味。

Axle(アクサル)RAINBOWセットの松木賢三さんから、お返事CDとお写真が届いた。CDの松木さんがいきなり自分の名前を呼んでくれてビックリ。この声メッセージって一人一人違ってたのね。言ってるご本人もそうだが、聞いてる私も照れ笑いw。

ネオロマンスのホワイトデーメッセージも届いた。私の担当はルヴァ&ヒュウガ&リズヴァーン&土浦梁太郎。これはやっぱ声で聞きたいよ。
劇場版『ONE PIECE(ワンピース)エピソードオブアラバスタ〜砂漠の王女と海賊たち〜』を息子と一緒に観てきた。
入場特典はボディシール。パンフに恒例の記念スタンプを押す。


同時上映は、劇場版『Dr.SLUMP(ドクター・スランプ)Dr.マシリトアバレちゃん』。約5分。
新作!? マシリトJr.って!?w 私は懐かしいが、息子は知識程度でしか見てなくてあまりノっておらず^^;。最初のTVシリーズと同じキャストなのは嬉しい。小山さん、古川さんの声は殆ど変らず。野沢那智はテンションだけは変らずw。”ワル”と”悪人”って違うのね。


『ONEPIECE エピソードオブアラバスタ砂漠の王女と海賊たち』。
『ワンピース』屈指の名エピソードの一つ《アラバスタ編》のTVアニメに続いて2度目のアニメ化。劇場版ならではの完全新作と新録。
TVアニメのほうも観てはいて、思い入れもあったが、ナガラ見もあったりと、細かいエピやシーンで忘れている部分もある。
劇場版はTVシリーズの膨大なストーリーを約1時間半に上手く凝縮されている。展開が早く構成も上手いので、飽きずに集中して観ることができる。見せ場は外さず、キャラクターの個性や見どころもじっくりと描き、色々なメッセージも盛り込まれて、誰もが楽しめるような話にはなっている。

ただ、冒頭から既にビビがルフィらと行動を共にしていたり、アラバスタやB・W側のキャラが唐突に出てきたりと、全くの初見の人には少々とっつき難い雰囲気もあるかもしれない。
逆にTVシリーズを観た者には、大まかな筋書きは分っているので、物語的には新鮮味は少ない。
その分、映像が飛躍的にアップ。CG技術による砂の動きや膨大な群集のシーンはエキサイティングで壮大。アニメならではのアクションや背景画も素晴らしい。だが止め画のようなハーモニー効果の乱用は、かの出崎統監督の作品を思い出させ、無くても良かったように思う。

メインキャスト陣はさすがの熱演。特に田中真弓@ルフィはクロコダイル戦では渾身の演技を聞かせてスゴイ迫力だった。空からビビを救い「諦めるな」と優しく力強く告げるシーンは、ルフィの男としての魅力を感じる。
平田広明@サンジはニヒルよりエロさが際立つw。ナミさんの裸が二度も出てきて、サンジと一緒にニヤけてた我が息子。平田さん@粗忽屋@カルーは最後も決めてカワイイ。
渡辺美佐はホントに画面に引き込まれるような感覚で、前と同じようにビビを熱演。叫ぶシーンも多かったが、ひたむきな情熱がよく出ていた。
矢尾一樹@ボン・クレーのテンション高いキワモノさは最高。クロコダイル役の大友龍三郎も見事な悪役ぶり。ニコ・ロビン役の山口由里子はこれで当分は聞き納め?
ゾロVSMr.1の死闘を聞かせた中井和哉VS稲田徹って、マンガのゲンバの『RAINBOW』対決じゃんw。あの時ワンピを連想してたが的外れではなかったみたい。稲田くんの声は他にもアラバスタ兵などあちこちで流れるのでファンは必聴かも。

「国」と「人」、「理想」と「現実」…TVシリーズでは、ビビの必死の叫びや演説シーン、麦わら海賊団との別れなどで、何回か涙した覚えがあった。今回の劇場版では、目頭が熱くはなったが涙は出てこなかった。ダイジェスト版としての弱さか、自分の感情が麻痺してきたのか^^;。
”上に立つ人の品格が民衆の品格となり国の品格を作る”とあらためて思い知って、現実の切なさに痛みを感じたお話。
映画第9弾は新作を期待したい。


みんなの顔でワンピース!キャンペーン。
たくさんの顔で埋め尽くされた映画館ポスターを見たが、Web版ポスターで顔をじっくり拝見。平田さんのブログにあった、平田さんの2枚の写真も発見。うち1枚を見て吹き出した(^o^)。

夏休み”電ゲキ”ロードショー!
スクリーンから関俊彦さんの声が流れたっ。ちょっぴり抑え目の「最初っからクライマックスだぜ!」キャー。夏はもっと関さんの声をスクリーンで聞けるのね(^.^)。
映画『蒼き狼〜地果て海尽きるまで〜』ワールド・プレミア試写会へ行ってきた。
家族を巻き込み、子供達と一緒に大わらわだったが^^;、過ぎればまぁ良し。
一昨年の映画『男たちの大和』試写会の入場プレゼントはプレスシートで豪勢だったが、今回はパンフの先行販売(800円)攻勢。期待外れでガックリだが、買った人も少なかったと思う。
レッドカーペットやセレモニーもなく、出演者が去った後に残された大きなパネル前で撮影する人達。


主題歌を唄うminkのライブからスタート。馬の蹄の音と共に、ステージ上の白い大幕に沢山の人々の影が映るり異様感。幕が下ろされると、舞台には青い旗と衣装と甲冑に身を包んだモンゴル兵に扮した男達が総勢100ほど。彼らをバックに、MCの女性の紹介で出演者が次々と登場。

製作の角川春樹、Avexの千葉龍平、原作の森村誠一、澤井信一郎監督、松方弘樹、平山祐介、野村祐人、袴田吉彦、Araと松山ケンイチ(紹介ミスか同時に仲良く登場)、若村麻由美、菊川怜の順で登壇し、最後にライトアップされて主役の反町隆史が登場。松ケンの時に会場からキャ〜の歓声。反町さんの時に大きな拍手。

『男たちの大和』の時の登壇者と被るのは、角川氏と反町さんと松ケンの三人かな。
あの時軍服姿だった角川氏は今日は黒スーツ。自分の人生において、刑務所を出るまでがプロローグ、『男たちの大和』がイントロ、この作品から始まりますと言いきり、私自身の人生が沢山散りばめられていると27年間の思いを語る。最後に「おすぎもこの映画見なきゃソンよと言った」と(笑)。
反町さんは、家族がテーマです、親が子を愛し子が親を愛する当たり前なことが失われた今、この映画を見て考えて欲しいと語る。僕達の後ろに千人から3千人のスタッフがいて、汗水たらして一緒に作ったと言い、最後に「見なきゃソンよ」w。
松ケンは、銀色スーツに黒いピカピカの靴。日本人がモンゴル人に扮したが、素直に見て何かを持って帰ってくれたらと言葉少なに語る。

Araさんは、これがデビュー作で初スクリーン作。
若村さんは、最初から最後まで生きていく役どころだとか。全ての人間は母ちゃんから生まれたんだ、と大らかに語る。
坊主頭で背が高く颯爽としていた平山さんに注目。松山ケンイチ目当てに見に行ったけど、平山も格好良かった…そう思ったらブログにでも書いてくれ、と頼もしく語る。
松方さんの時は、「あれ、部長?」と息子が注目。「こんばんは!」を会場と連呼され、皆さん”品格”がある方ばかりだ、と分る人には分るネタw。
森村氏は、読者は原作者を見るとガッカリするだろうと思うながら出てきたと牽制。仮出所後2日目の角川さんからジンギスカンを書けと依頼され嬉しかった。原作者はキーワードをしかけますと、2つの言葉を挙げ、反町さんがいつどこで言うのか聞いて下さいと語る。
澤井監督は、映画を見ながら大いにノリ捲って欲しいと言葉少なに語る。

たくさんの拍手の中、皆さんが退場。444という最大規模で上映され、世界各国からもオファー中で世界中を席捲する作品だと、MCが熱く語って終了した。


映画公開前なので、軽めに雑感。約2時間10分。
英語テロップが出るので、発するだけじゃ分らない難しい言葉の意味も、逆に理解出来て良かった。”按達(アンダ)の誓い”という言葉でも、”friendship”で何となく分るw。

チンギス・ハーンの一生の話かと思ってたが、若き頃から中年期までのテムジンの話。
この時代のモンゴルの女は”戦利品”扱い。”種”と”血”がカギか。歴史は何度も繰り返す。
父と息子、息子と父、母と息子、息子と母、兄と弟、夫と妻…家族の宿命を壮絶に描くが、母と娘の関係はあまり描かれていない。
腹心、朋友、味方、敵…男たちの熱き関係も翻弄される。

池松壮亮→反町隆史@テムジンは、冷静沈着でカリスマ的な族長の面より、情に動かされる不屈の男という感じが強い。
野村祐人@ボオルチュの顔を見るとホッとする。
平山祐介@ジャムカは、台詞は硬いが声が実に良く、芯が通ったキャラクターで強く残る存在感。
松山ケンイチ@ジュチは、1時間を過ぎた後半からの登場で、出番も思ったより少ない。予告で見た戦闘シーンってあったっけ?^^;弟達との絡みも無かった。
平山さんがおっしゃってた通り、こりゃあ、松山ケンイチお目当てに見に行ったら平山さんにやられて帰るかもしれない(笑)。

Ara@クランは、まるで『亡国のイージス』のジョンヒw。
若村麻由美@ホエルンが、ちゃんと老けた風情をしていたのが良かった。そして若村さんのおっしゃった言葉、「全ての人間は母ちゃんから生まれた」がしみじみと染みるお話だった。
哀しい宿命を余儀なくされる時代の女の生き様だが、”生”の誇りと自由を持ち得ていたのも女だったと思う。

予告では偉大な人物と史実を描いた超大作かと思ったが、家族と友情と戦いと結束を描いた「男たちのモンゴル」物語だった。史実や原作に基づいたのであろうが、やや肩透かしを食らって物足りなさ感はいっぱい^^;。
青と黒、青と金と、色の鮮やかさが目に眩しく、テロップの膨大な名前にも圧倒される。
オール・モンゴルロケで、ようやくこういう映画を日本でも作れたことに意義があるのだと思う。
今年はモンゴル建国800周年記念。生涯に一度は訪れてみたい国だ。
『第30回日本アカデミー賞授賞式』を、昨年に続きテレビで観ていた。
邦画が盛り返した昨年、私も日本映画をいっぱい観て思うこともあれこれ。

結果は、去年の『3丁目』ほどではないけど、まさに『フラガール』イアー! 最優秀作品賞に輝いたが、最優秀監督賞もゲット。候補にあがっていた三谷幸喜が、聞いた瞬間テーブルに突っ伏してたがネタなのか!?^^; 最優秀助演女優賞の蒼井優は『大和』じゃなく『フラガール』で。
最優秀助演男優賞は、『武士の一分』での絶妙な演技が記憶に残る笹野高史。発表直前まで松山ケンイチがおどけていたが、新人賞は既に取った余裕なのか。
新人賞のインタビューの時に、音声が聞こえないという放送事故。折角の晴れ舞台なのに、何たるスタッフの怠慢。
渡辺謙はこれが初めての最優秀主演男優賞。もう何度も獲得されていると思ってた。最優秀主演女優賞の中谷美紀は謙虚な態度が好感。

今年からアニメ映画の作品賞が別部門になり、優秀アニメーション作品賞が5作品選ばれた。その中から、一応私の好みで順位をつけるとこうなる。
1位『時をかける少女』
2位『名探偵コナン 探偵たちの鎮魂歌(レクイエム)』
3位『あらしのよるに』
4位『ブレイブ ストーリー』
5位『ゲド戦記』
実際のところも、最優秀アニメーション作品賞は『時をかける少女』に決定。他アニメ賞も既に総ナメだったし、これは予測された結果か。

さて、来年度の第31回には『蒼き狼』とか『蟲師』とかがくるんだろうか。来週はいよいよ『蒼き狼』のプレミア試写会っす。

 ̄ ̄ ̄
『マウスプロ公演延期のお知らせ』。
15日にもお知らせの葉書が届いてたが、公式サイトでも発表。
第5回公演『桜シリーズ〜完結編』が諸事情により来年に延期。毎年観劇していたし、カンパニーの役者の方々も好きなので、まことに残念である。
去年のヘロQ終演後に大塚明夫さんが「来てね」とおっしゃってたので、今年に入ってから中止の事態になったのか。日程も劇場も決まっていたのに。多忙な役者の事情とか、スタッフの問題とか色々と考えられるが、まだ憶測や噂の枠だからな。
個人的には、石田さんは他でも拝めるとして、寺杣さんとお会いできる機会だっただけに、残念でたまらない。
これからはソーミ新聞とBLOGをマメにチェックして、皆さんの動向をみなければね。


4月29日の『小杉十郎太 J’s Music Action the 4th』(よっ!憎いねっ!!横浜凱旋BLITZライブ) のゲストに森久保祥太郎。
メルマガでも届いたが、公式サイトでも発表。
小杉さんと祥ちゃんの初コラボ! 新鮮なステージになりそうで楽しみだが、集客のための苦肉の策といえなくもない^^;。
フリー券があったので、映画『長州ファイブ』を観てきた。
予備知識もなくあまり期待はしてなかったが、さすが文化庁支援の良質作品で、実に興味深い感銘を受けた。

幕末、志を胸に命がけで英国に密航した長州藩の若者5人の青春群像と、浮かび上がる文明国の光と闇を描いた、史実に基づいたフィクション。
いずれも20代の若者5人の名は、庸三、弥吉、聞多、俊輔、謹助。その後彼らが日本を動かす担い手となるが、映画を観る上ではそういった知識は要らない。むしろ考えないほうがいい。
攘夷の嵐が吹き荒れる激動の日本において、「敵を知り、己を知れば百戦、危うからず」「生きたる機械となって帰る」の言葉を胸に、彼らは若さだけが持ち得る力で海の外へ飛び出したのだから。
英国の技術や知識を習得して日本に持ち帰ろうと懸命に学ぶ5人。彼らの前向きな精神と意欲、吸収する知識と技術、恐れを知らぬ挑戦、不屈のバイタリティは眩しいかぎりで、見るこちらまで熱くなる。そして陰に日向にと、彼らを理解し力になる恵まれた環境があったのも羨ましいことだ。

エゲレスの飲み屋で薩摩藩の留学生と合間見えて、同じ目的から友情へと変る過程も面白い。
当初は「長州藩」を背負っていた彼らが、やがて「日本国」のためを考え、ラストは「日本」の看板を背負うようになる。
5人其々に個性と興味を与え、英国での気持ちの変化をじっくり描いたのが良い。

皆を先導した聞多役の北村有起哉は、ギラギラした野獣的表情。俊輔役の三浦アキフミは、一見して可愛いオタク風。謹助役の前田倫良は、憂いのある表情。弥吉役の山下徹大が一番男前で、熱く頼もしい雰囲気がいい。庸三役の松田龍平は凛とした立ち姿と殺陣が見どころだが、とにかく寡黙で笑わない。薩摩藩との別れの時にほんの少し笑みを見せたのが印象的。
5人とも裸や褌がよく出てくる(笑)。前半は濡れ場がやたら目につくので慎んで欲しかったw。

3人が祖国に戻った後半は、庸三の”英国戀物語”の展開となり、やや面食らう^^;。「ファイブ」の志は残っても、実際には庸三と貧しい聾唖者エミリーとの交流に重点がおかれる。
でもこれこそが、文明の陰に潜む貧困を浮き彫りにさせ、障害ある者の働き方について考えさせる、開眼の扉となるのである。
文明がもたらすものは良いことだけじゃない。全部が豊かになるわけでなく、持つものと持たざるものとがいる。自由と自然を愛することも忘れてはいけない。
文明国となってからの日本が、必ずぶち当たるであろう問題点を示唆し警鐘をしているのが凄い。そしてエイミーは「日本を動かせるあなただから、文明に生きる人間を考えて」と思いを託したかったのではないか。

「蛍の光」がスコットランド民謡だとしみじみと気づかされる。卒業式などで使われるこの別れの曲が、ダンスの音楽に何てピッタリなのか。胸に手を当て心の声を聴く動作も美しい。庸三とエイミーのしっとりした場面に目頭まで熱くなった(;_;。
広い海の中、波間をどこまでも突き進む彼らをイメージした音楽も高揚感を誘う。
帰国後の彼らの姿はテロップのみだったが、夢と志を持って進んだ若者たちがテーマだったから、これで良かったのだ。

一番注目してた弥吉が、30年前から走ってた蒸気機関車に夢中になり勉強する姿は、まさに”元祖・鉄道マニア”(笑)。この方が後に”日本鉄道の父”と呼ばれた井上勝だったとは。”小岩井農場”創設にも鉄道が関わっていたとは全く存じ得ず。
庸三こと山尾庸三は後に”日本工学の父”と呼ばれるが、盲学校や聾学校の創設にも関わったことを知らず。
この年になっても知らなかったことを知ることは本当に楽しい。若くはないけど、何かを始めたいアクティブな気分にさせる映画だった。子供にも見せたい。
5人の子孫の方のお名前もテロップに出ていたが、どんな方々なのだろうか。あらためて山口県に行きたいと思う。

映画 墨攻

2007年2月7日 映画
中国などで大ヒットした映画『墨攻』(ぼっこう)を観てきた。
『中国国家博物館名品展』へ行く前の前フリと、何となく『王の男』と『蒼き狼』の中間で観なければならないと思ったから。

大国・趙(ちょう)の猛攻撃から、小国・梁(りょう)を先頭に立って篭城させた墨家(ぼっか)の男・革離(かくり)と、その戦いの果てを描いた悲壮たる物語。
原作コミックは未読。墨子によって創設された思想集団”墨家”の存在さえ知らなかった。
中国・日本・香港・韓国とアジアの力が結集した壮大なスケールの作品で、アクションと人間ドラマが交錯する。

梁側に立って見た前半は、革離の知略や秘策や新兵器も興味深く、集中して見入る。思想に基づいた彼の人心掌握術は無心だが、梁王が嫉妬と反感を募らせる後半からは、徐々に嫌気とダルさを感じさせる展開^^;。
小国は身内に甘いというが、大国は疑心暗鬼が凄まじく裏切り者には容赦がない。梁の愚王より、勝ち負けに拘りながらも武士の信念と誇りは失わなかった趙の猛将のほうに気持ちが徐々に移っていく。仕舞いには趙に肩入れし、梁なぞ滅びてしまえと思ってしまう自分がいた^^;。

そもそも、援軍を求めた梁を墨家がなぜ無視をしたかだ。つまり梁は助けるのに相応しくない王をもっていたからなのだ。或いは革離が来なければ、属国になれ果てようとも、両国の犠牲はまだ少なかったかもしれない。だが革離が動けば動くほど、敵を本気にさせるだけでなく、内なる調和を崩して脱走や叛乱や多大な犠牲を生じさせる。革離こそ戦いを長引かせた張本人なのである。

墨家の思想”非攻”と”兼愛”はまさに”矛”と”盾”。我が身を守るためには敵も殺さねばならないし、敵を愛することなどとうてい難しい。分りきってはいながらも、命をかけてその使命を全うしようとした革離に心動かされた人達がいた。若王、近衛の女剣士、弓隊隊長、そして趙の将軍。だがその誰もが消えていく。戦乱の世では、墨家の思想も墨家や墨者そのものも滅びねばならない運命なのだろう。
”非攻”の思想を受け継いだ”専守防衛”の理念が、今や日本でも危うくなっている現実。達観する革離の姿は、『ジパング』の角松を彷彿とさせて切ない。だが戦いの無い世界を夢見て、我々はいま一度”墨守”の足跡を振り返る時期にきているようにも思える。

坊主頭のアンディ・ラウは、優しい眼差しとストイックな雰囲気が実に凛々しく格好良い。しかし声が高めでアンディらしくなく、もしや誰かの吹替えなのか。
逸悦も声がやけにキャンキャンしてたが、途中から急に”女”を強調させた振る舞いは違和感。恋愛模様は壮絶だが描き方がやや薄い^^;。
むしろ革離によって運命を翻弄された二人の男に注目したい。最初こそ反発したものの、革離の魅力にどんどんのめりこみ、一緒にいたいと願う悲劇の王子様・梁適。革離との勝負にこだわるも、やはり彼の魅力に惹かれていく悲劇の猛将・巷淹中。
男と男の信頼や慈愛、熱きサシの戦いにこそ、人間は夢と希望、そして妄想を募らせるw。


吹替え版があるのか分らないが、またまた勝手にキャスティング(笑)。
革離: 森川智之
梁適: 石田彰
子団: 平川大輔
逸悦: 甲斐田裕子
梁王: 有本欽隆
巷淹中:大塚明夫
な〜んてね♪ また腐女子を誘うノリになったゾw。
映画『マリー・アントワネット』を観てきた。字幕版だが、吹替え版もどこかで上映してるのかな。
英語を喋るアントワネットの登場だ。

『ベルサイユのばら』フリークとしては、漫画で見たエピソードがちょっと趣向を変えた映像で出てきたりと確認作業にもなる。そして誰かがいない物足りなさを感じるが、それがオスカル様だと分って苦笑もしたり。

予告を見た時から推測できたが、これは歴史的映画というものではない。マリー・アントワネットという女性の視点からベルサイユ生活を描いた、極上な《ファンタジー》なのである。
それ故、ベルサイユからパリへ移された以降の彼女のことは全く描かれていない。そこからは《ファンタジー》ではなくなり、《リアリティ》な話となってしまうから。ソフィア・コッポラ監督はわざと寸止めにして、ファンタジーのままで終らせたかったと思われる。

誰もが知ってる、ゴージャスで華やかな”ベルサイユ宮殿”。だがそこにも闇があった。アントワネットが人知れず泣いた秘密の小部屋。狩猟に行くルイをひとり寂しく見送ったしんみりとした中廊下。ため息が出るほど疲れそうな長く続く白い外階段。人々との柵だけでなく、決して快適では無かった宮殿そのもの。華やかさの裏にある暗黒な住処。
もう一つのキィが”馬車”。輿入れの時にも、宮殿から離れる時には必ず馬車に乗るアントワネット。それは彼女の不自由な心、己自身では選べない人生そのものを表す。彼女が自分の足で歩く時は、必ず喜怒哀楽の自己表現が伴う。しかしそれすら”ベルサイユ”というちっぽけな範囲でしか許されない。

現代の女性とも重ねられるアントワネットだが、映画では思っていたよりずっと素直で辛抱強く従順な女だったんだと思わされる。
デュ・バリー夫人へのひと言だって漫画ほどの激しい葛藤は無かった。実母テレジアからの口煩い手紙にウンザリしながらも、ちゃんと従っていたw。革命勃発で取巻きたちが次々いなくなるのを優しく見送っていた。何より、逃げる機会はあったのに、いつまでも「王のそばに」と付き従い気丈に微笑んで見せる。
もし私だったらと思う前に、現代の女だったらもっとクールに賢く対処するんじゃなかろうか。

お菓子やドレスや靴やカツラとポップでカラフルなものがいっぱい出てくるが、印象的だったのは子供や動物がいっぱい登場したこと。アントワネットの子供や動物への優しい接し方を見ても、彼女がいかに愛情深い女性だったことが伺える。
作曲したり芝居をしたりの(この時だけはフランス語)溢れる才能も宮廷では不必要。考案したプチ・トリアノンの田舎も現代では絶好のアトラクションなのに。
どれもこれも彼女が王妃でなかったら、いや、他人の金でやらなかったら、どんなにステキだったか。
キルスティン・ダンストは大きな口とエクボが可愛い。のびやかな演技は見てて楽しかった。

映画ではルイ16世が実に魅力的に描かれていたのが嬉しい。アントワネットの美しさにシャイになったりボーっとなったり、仮面舞踏会でからかわれたり、義兄のアドバイスで即治療したり、出産後は自ら窓を開けたり、馬で王妃を迎えにきたり。でも仕事では財務官の言いなりでうだつがあがらなかったり。内気で真面目でキュートで優しい男だが、狩猟と錠前作りに没頭するサマはまさに”オタク”。そのオタク青年がセレブ女性と結ばれたら…。これぞブルボン王朝版『電車男』かもしれない(笑)。ジェイソン・シュワルツマンは朴訥とした誠実な佇まいが素晴らしく、吹替え版では牛山茂にやって欲しいと思ったり(似てるもんw)。
或いは、今度はルイ16世の視点から描いたら、うんと面白いものが出来るかと思う。
映画ではフェルゼンが完璧に女たらしのプレイボーイとして描かれてるのも愉快。国王逃亡までいってないしね。

あんなカラフルで甘いお菓子なんかより、搾りたての牛乳のほうを食したいし。
あんなきつきつコルセットのドレスなんかより、ゆるゆるのネグリジェを着たいし。
浮かれた取巻き連中といるより、愛する我が子と一緒にいるほうが癒されるし。
普通の女は”普通の人生”が一番さ。

去年観た舞台ミュージカル『マリー・アントワネット』は庶民の視点がメインとなり、クールなザラザラ感があった。この映画と合体させて中間をとった内容にしたら、バランスの良いエンターテイメントな作品となりそうだ。
アントワネット展や美術展で見た肖像画が、映画にも色々出てきて嬉しい。監督やスタッフ・キャストらのアントワネット好きが存分に感じられ、それだけで満足した。
今更ながらの『ゲド戦記』の実写版映画のDVD。去年観てはいたけど一応雑感。
『ゲド戦記』の原作全6巻のうち、第1巻「影との戦い」と第2巻「こわれた腕輪」を基にして絡めた内容らしい。ジブリのアニメ『ゲド戦記』は第3巻「さいはての島へ」が基だとか。

約180分と長かったが、原作を読んでなくても分り易くて、予想してたよりは面白かった。
ジブリ版を観てもよく分らなくて、満足せずにくすぶっていたものが、この作品でようやくすっきりした感じ。むしろジブリ版も最初はこの第1巻や第2巻から作って欲しかった。

若者ゲドが魔法に目覚め、師匠と出会い旅をして、魔法学校へ入り騒ぎを起こし、放校後は死を覚悟で仲間と共に決着へと向う。そして運命の女性との出会いと繋がり。
若さ故の奔放さと自信過剰で直情的な性格が憎しみと怒りを呼ぶが、己だけでなく世界の平和のことも考え自省し、冷静沈着に行動していく。若者の成長過程がじっくり描かれていて、観るほうも徐々に共鳴する。
ラストは巫女の祈りの力と魔法の力が重なって、温かさに満ちた結末へ。

劇場未公開作品らしいが、映像的にはテレビドラマ的な安易な部分も見られ、稚拙な表現も目立つ。いきなりキスシーンやベッドシーンも出てきたり、かと思うと設定や説明が子供っぽくて、いったいどの世代をターゲットにしてるのかと思いたくなる^^;。
ジブリ版では確か、通り名が「ハイタカ」で真の名が「ゲド」だった筈だが、ここでは逆になっていて呆然。原作ファンなら許せないところだろう。

『ロード・オブ・ザ・リング』や『ハリー・ポッター』を彷彿とさせる設定や映像はとっつき易い。鍛治屋の息子も定番。息子は『スター・ウォーズ』みたいだと言ってたが、RPGものにしろ、あっちがパクってるんだからw。
ゲドの帽子とか師匠と共に旅する姿も、ジブリ版を思い起こさせ、原作もきっと面白いのだろうとようやく思えた。

お目当てはもちろん吹替え版で、ゲド役の石田彰。『X-MEN2』などで好演したショーン・アシュモアが顎鬚を生やし汚れたビジュアルでゲドを演じるが、息子は当初「こんなオジン臭い顔、石田さんには合わねーよ」とグッサリ^^;。
最初こそ、かなり低めの声で演じてた石田さんだが、徐々にナチュラルで力強い声になり、ゲドの苦悩と挫折も見事に表現して、最後まで凛々しく演じきる。
当初はゲドの傲慢さに反発して観てたが、石田さんの声と演技が引っ張って、ゲドの青々しさも愛おしく感じられた。

野蛮な侵略を繰り返し、邪魔者ゲドを排除しようとする帝国の独裁者タイガス役が小山力也。ブラック・ハクオロみたいな声で、カリスマ性と強欲さがよく出てて怖い存在感。ラストのゲドとの死闘も見どころで、なかなか聞けない石田さんVS小山さんをたっぷり楽しめるv。

テナー役の女優さんは『ヤングスーパーマン』に出てた人かな。浅野真澄の清潔な声も良かった。大賢人オジオン役田中信夫の包容力のある声も素晴らしい。

ゲド少年時代のこの第1巻と第2巻のほうもアニメにして欲しいかな。でもまた話題作りのために、ド素人の声優を使うんだろうね^^;。

 ̄ ̄ ̄
『仮面ライダー電王』のモモタロス役で関俊彦が出演。81公式サイトでついに発表されていた。
他にもキンタロウとかウラシマタロウとか出てくるんだっけ。桃太郎と言えば、以前『おはなし玉手箱』で関さんがやってくれたような。設定には”電車”とか”時間”とか、個人的に嬉しい要素もいっぱい。

1月28日から放送スタート。28日と言えば、『仮面ライダーカブト』のイベントじゃん! 
当日は、次の新ライダーですとか言って、電王とモモタロスの中の人が出てこないかな〜。和樹と関さんが揃ってステージに立ってくれたら(あるわけないけど^^;)、大いに喜ぶ人が約2名いるゾ(笑)。


アニメ『NARUTO』新シリーズ”疾風伝”の第1話アフレコレポと集合写真。
写真に関さんがいたが、飛田さんの姿も。とすると、またあの役で!? 要チェック。
映画『鉄コン筋クリート』を観てきた。
映画のハシゴにそろそろ慣れた感。昨年観た『パプリカ』とも比較対照されてるようなので、これは観ておきたいと。

松本大洋氏の漫画の待望のアニメ映像化だが、原作はもちろん読んでいない。
混沌と猥雑な街「宝町」を舞台に、”ネコ”少年とヤクザと殺し屋と警察との壮絶なぶつかり合いを描いたダークファンタジー。

この「宝町」が、ジブリとI.G.の背景をごった煮させ、昭和のレトロな匂いをぶっかけたような街。その精確な図面や、ごちゃごちゃとした緻密さはまさに圧巻。美術監督さんの職人技に拍手したい。
「宝町」に生きる人間、それこそ老若男女から様々な職種の人々を実にこと細かにじっくりと描き、彼らの動きや息吹は「生」をリアルに感じさせる。

「宝町」を「オレの街だ」と、縄張りに奔走する少年クロと、思うように作り変えようと画策する蛇との抗争が、血と暴力を加速させる。それ程に「宝町」に執着するのは何故なのか。愛情か野望か、己の居場所への固執なのか。「街は誰のものでもない」と諭す老人の言葉が深い。

”雑多な色”の集合体である「街」の中で、時おり出る、鮮烈な”赤”が「血と現実」を表し、目にも眩しい”青”が「夢と希望」を表す。
その中をクロとシロの少年二人が飛び、跳ねる。最初は「96」と「46」の存在だった彼らが、徐々に「黒」と「白」に引き裂かれていく。その過酷さ。本当はオセロのように、「黒」と「白」は表裏一体、足りないものを互いに補い合う存在だったハズなのだ。

キャストは相変わらずプロ声優ではない。だが素人の一本調子な喋り方は、乾いた画面には案外と似合ってるかもしれない。
クロ役の二宮和也は、『硫黄島…』では「花子」、『鉄コン』では「シロ」を連呼、どちらも”犬”の名前を呼んでるように思えて苦笑する。
蒼井優のシロは高めのオットリ系声なので、最初は”女の子”かと思い、実は”女の子”だったのだとずっと信じていたw。だが時おり見せる声の強さが魅力的で、シロの芯の強さを感じさせ、二宮くんの声より強烈に残る。「シロはお前が考えてるよりずっと強いよ」「お前がシロに守られてるんじゃないか」という台詞を反映させる演技だった。
伊勢谷友介、宮藤官九郎、本木雅弘らは其々の持ち味で、ネズミ役の田中泯が渋かった。

後半、自暴自棄のクロの前に突然現れた”イタチ”なる存在がよく分らない。クロの暗黒面の集合体なのか。ダースベイダーのように、”暴力と破壊”の暗黒面に引き摺られてもがき苦しむクロのシーンと、シンクロして狂乱するシロのシーンがやけに長く間延びし、シンドくてぐったり^^;。
シロの思いが通じて逃れるクロだが、これで全てが済んだのだろうか。真っ青な空と海が画面を覆うが、結局は警察の庇護あってのことというべきか。

気分的には爽快感がわかないラストだが、エピローグのリンゴの芽が、彼らの生き様に「希望ある現実」を予感させる。新たな映像表現の一つとして、大人が観て留めておきたい作品だった。


興味ある映画の予告が続々流れた。
『BLEACH』の前には『NARUTO』や『ONE PIECE』。『鉄コン』の前には『僕は妹に恋をする』や『蟲師』。『蟲師』にも蒼井優が出るのか。アニメのギンコ役中野裕斗のナレ声に慣れてるので、ちょっびり違和感。

劇場版 BLEACH

2007年1月3日 映画
劇場版『BLEACH(ブリーチ)MEMORIES OF NOBODY』を観てきた。
今年初めて観た映画がこれ。実は本命の映画まで時間があったので仕方なくだが^^;、年初を飾るにはブリーチで正解だったかもしれん。
映画が始まって3分過ぎ、画面に大きくタイトル。後ろにいた祖父と孫の会話が耳に入り吹きそうになった。「ぶりーち? ブリーチっていうのか?」「うん。ブリーチ」お祖父さん、知らないで付き合わされたのね^^;。

「世界崩壊」の危機を背景に、死神代行・黒崎一護が謎の死神少女を命をかけて護り抜く姿を描くオリジナル・ストーリー。
BLEACH初の劇場版だからか、かなり真面目に気張って作られた正統派作品。スケールは大きく、卍解シーンなど見どころは劇場版ならではの迫力。

現世組や護廷十三隊メンバーも出演。それなりに格好良く活躍するキャラもいる。しかし人数が多過ぎるため、ほんの顔見せ程度か、ひと言&二言程度の台詞しかないキャラもあり。犬は出番はあれど声は無し(~_~)。劇場版『テニスの王子様〜跡部からの贈り物』状態を思い出すw。
”世界崩壊までの序曲”の説明を、喜助やマユリ様が説明してくれるも、頭の鈍い私にはイマイチ完全に理解できず^^;。
戦闘組は、一回戦では敵を取逃がしたりと鈍かったが、最終戦では日番谷や剣八や恋次が活躍、砕蜂も目立っていたか。恋次がさりげにルキアを護って微笑ましい。
ルキアの卍解を初めて見た! でも肝心なところで白哉兄サマが『聖闘士星矢』の一輝状態(笑)。

強烈なレギュラー陣のため、敵オリキャラがいまひとつ霞みそう^^;。ラスボス巌龍らの超強さは分るが、彼らの生い立ちや復讐心が明確に伝わらず、存在感や個性が薄れてしまう。このへんが劇場版という限られた時間がネックとなったか。

必然的に、戦闘風景よりも、前半からじっくりと描き、フラッシュバックさせる現世の日常が印象に残り、そこで触れ合っていた一護とオリキャラ・ヒロインの関係がメインになる。
前半部の物語があったから、一護と同じように、茜雫(センナ)の心情に深く寄り添うことができた。
一護と茜雫との触れ合い、情と淡い恋心。一護が茜雫を護ろうとする熱い思い、助け出そうとする真摯な魂は、きっとこの作品に対するスタッフの意気込みそのままなんだろう。だから観るほうも真剣になる。

「この世界が好きだから」と笑みを見せ、「私が生きてきた証を知りたい」と一護の背に抱かれる茜雫。彼女の気持ちが痛いほど分るから、ラストでの一護の思いやりの言葉が胸に染みて、つい涙ぐんでしまった(;_;)。
死神たちの壮烈なアクションも見どころだが、本当のメインはこの切ないドラマ。死神たちの中で”死”を冷静に見せながら、対峙する”生きること”を熱く考えさせる良い作品だった。

茜雫役の斉藤千和はイヤミが無くて可愛かった。巌龍役の江原正士は若々しい男前声。主役の森田成一が熱演。森川智之は父と敵との二役。
それにしても『BLEACH』にはぜひ漢字テロップが欲しい。「茜雫」は、最初は歌のタイトルに合わせて「千那」とか勝手に漢字を想像してたよw。
息子もよく口ずさむ主題歌「千の夜をこえて♪」が余韻の中で流れる。エピローグを見て、サブタイトルの意味をあらためてじんわりと味わった。
映画『敬愛なるベートーヴェン』(字幕版)を観てきた。
映画で《第九》なんて、今年最後に観る映画作品としては何てピッタリ。とはいえ、ウチの近くでは夜しかやってないので、集中したが疲れた。

ベートーヴェンと、彼の後半生に寄り添ったアンナとの、師弟を越えた情愛と深い絆を描いた名作。
偏屈で下品で高慢で、人間的には失格な孤高の老いた男は、聴力を失う代わりに、神の言葉を聞ける”才能”を持ち得た。
常識的で上品で献身的で、人間的には優れた愛情深い若い女は、花開かない”才能”に苦悩した。
エド・ハリスが重厚に純粋にベートーヴェンを演じ、底知れぬ力強さを感じさせる。ダイアン・クルーガーのアンナは凛とした美しさで魅せる。二人とも強烈な”眼力”を持ち合わせ、音楽が耳だけに頼るものじゃないことを感じさせる。

最初はベートーヴェンの才能や音楽に憧れていたアンナが、彼の人間性や孤独を知る中で、彼の存在に圧倒され、どんどん惹かれていくサマが丁寧に描写される。誰よりもベートーヴェンとその音楽を理解したアンナ。そして彼女の隠れた才能を見い出し、独特のやり方で励ますベートーヴェンの存在はかけがえのないものだった。
ベートーヴェンにとっても、彼女は自分の最大の理解者であり、孤独を埋める癒しであり、独占したい”娘”であり”女”でもあった。

中盤の《第九》の初演シーン。
耳の不自由なベートーヴェンの指揮を助ける為、アンナは写譜師としてでなく、指揮の合図師として彼の対面に立つ。そのアンナはドレスの胸元から胸の谷間が大きく出て、実になまめかしい。
指揮棒を振り上げようとベートーヴェンの目がアンナを見つめ、見返しながら合図を送るアンナ。見つめ合い、絡み合う視線。アンナの指先がしなやかに宙を舞い、ベートーヴェンが力強く腕と指を動かす。
曲が進むに連れ、目を閉じて恍惚としたトランス状態へ入るアンナ。彼女の甘美な息づかいが漂う。ベートーヴェンはアンナを見つめながら、情熱的に手と指と指揮棒を動かし続け、彼女の息に酔いしれる。
二人が一つになった”エロス”。この《第九》はベートーヴェンとアンナの”性交歓”なのだ。《第九》で唄われる歌詞の”抱擁”や”口づけ”が何とエロチックに聞こえること。
《第九》を観ながら、聞きながら、映画の観客と同様、私も胸を焦がす官能的なものを感じながら、涙がふるふると出た(;_;)。この場面をDVDで一人で鑑賞することになれば、登り詰める人も出てくるかもしれない^^;。私の涙は、以前に見た『バルトの楽園』の《第九》で涙したものとは明らかに違っていた。

映画ではベートーヴェンの音楽が意味深に色々な場面で流れて、絶妙な効果をあげる。『のだめ』で有名な交響曲第7番は、隣に住む老婦人が口ずさみ言う「誰よりも早くベートーヴェンの曲を聞けるのよ」。気持ちは分るぅw。
《第九》以降は、流れるベートーヴェンの曲のどれもが、エロチックに感じてしまいそう。
てっきり《第九》がフィナーレの曲かと思ってたが、映画は感動的な”交歓”の後で、崇高な”別れ”を用意していた。それが冒頭にも出てきた弦楽四重奏のための《大フーガ》だが、私にはあまり馴染みも興味もない曲だった。彼は作曲時にそれを「新世代への架け橋だ」と言ってたが、当初のアンナと同様、私にはさっぱり分らない。

しかし後半、アンナの身辺が慌しくなる。彼女の音楽を理解しない恋人と別れて、ベートーヴェンを取ったアンナ。彼女の”オナラ節”を酷評し彼なりのアドバイスを取り入れて作った曲を、一緒に完成させようと言ってくれたベートーヴェン。ようやく音楽的にも”交歓”していく二人。
病床のベートーヴェンの場面から、冒頭の場面に至るまで、おそらく様々なことが二人に訪れたのだろう。そのへんがあっさりカットされていたので残念だ。彼女が「マエストロと同じように《大フーガ》を聴きました」と言えるまでの過程をもう少し描写して欲しかった。

アンナはずっと「マエストロ」と呼んでいたっけ。「マエストロ」は確かに偉大な言葉。だが彼を、名前で呼ぶアンナの場面もあればよかったのに。
全編、分り易い英語の台詞だったが、これが《第九》合唱と同じドイツ語の台詞だったら、もう少し趣が変わっていたかもしれない。

今年も大晦日はNHK教育でベートーヴェンの《第九》が放送される。
その時の聞く状態で、《第九》への感動の様相が違ってくるのが面白い。
ウォルト・ディズニー最新作の映画『ライアンを探せ!』吹替え版を観てきた。
もちろん、吹替えキャストお目当て。平田広明さん+郷田ほづみさん+小杉十郎太さんとイイ男揃いだもんねv。声がお目当ての私に息子がちゃっかり付いてきて、親子で鑑賞。

動物園の親子ライオン・サムソン&ライアンと、彼らを助ける愉快な親友や仲間の動物たちが、ニューヨークやジャングルの島で繰り広げる未知の冒険と深い絆を描いたファミリー・ムービー。

息子のライアンがさらわれた! って、別にさらわれてないから^^;。偉大な父へのコンプレックスから意固地になり、親や皆を困らせたダメ息子なだけだから。”親の心子知らず”とはこのこと。
そんな息子の心を分ってあげられずにいたサムソン。冒険の中で、自分の秘密を息子に打ち明けた勇気。息子を命をかけて守ろうとした勇気。
親子で気持ちを分かり合えて、少しばかり成長して深まった絆。
彼らの冒険に最後まで付き合い、時に励ましてサポートした、心強くて楽しい親友や仲間達の関係もちょっぴり進展!? さっきまでの敵も一緒になって大団円。さわやかで温かい気持ちにさせるファンタジーだった。

平田さん@サムスンは、仲間の動物たちにはキビキビした男らしい口調で威厳を持たせ、息子にはとまどいを含ませた優しい口調で接する。平田さんの父親役って珍しいほうだが、情愛溢れる話し方に引き込まれる。
闘いの場面では、誇りと勇気と決断に満ちた台詞が出てとにかく格好良い。「野生の魂を呼び覚ませ」と念じたり、「俺の息子に手をだすな!」と叫んだりと、平田さんの魅力がいっぱい。

郷田さん@ベニーはどんな動物なのかと思ったら、身体の小さいリスだったw。お調子者だが、なかなかの知恵者で経験豊か。サムソンの良き相談役だが、むしろ大親友という存在。倒れているサムソンに必死に声かけするベニー。ピンチの時にはいつもそこにいる頼れる男。サムソンが硬なら、ベニーは柔。だが息子のことでサムソンがホットになると、ベニーはクールに対処する。何てステキな男の友情と絆。観ながら、ベニー×サムスンを妄想してニヤニヤ(笑)。郷田さんが軽快な口調でまくしたて、ギャグまで披露し、時に男らしく頼もしい声で引き締める。
ベニーはある意味、大人の男なので、身長差をものともせず、キリンのブリジットに熱烈恋愛アタック中。郷田さんの甘〜くセクスィな声も聞ける(*^^*)。そしてチュウv。2回もチュウがあり(笑)郷田さんの唇まで想像しちゃうw。

小杉さんはヌーのブラックで渋味の声。リーダーでダンスの振付師のカザールの命令に、最初は飛ばされたりして、弱気で情けない表現。でもダンスは好きそうw。ラストで「お前のダンスは古いんだよ!」とへこます威勢に胸がすっとする。
ラストは華麗でクールなダンスを披露。小杉さんノってるよ〜唄ってるよ〜♪(笑)ノリに反応して、サムソンまで負けじと踊りだす。平田さんもノってるね〜唄ってるね〜♪(笑)こ、これはもしや小杉さんVS平田さんのダンス対決!? 本人は踊ってないって^^;。『あらしのよるに』の狼対決を想像しながら、そういえば映画に狼は出てこなかったなと。

種族や外見を超えて、其々の性格を認め合って、たくさんの動物たちが混在する理想的な世界。そこには人間の入る余地は無い。原題の『THE WILD』である《野生》の世界にこそ、人間が求める”共存”や”幸福”が存在するのかもしれない。

映画 王の男

2006年12月20日 映画
韓国で大ヒットした映画『王の男』を観てきた。
タイトルとポスター写真から、「同性愛で三角関係の男たち」の話かと勝手に想像していたが、むしろ「王と男たち」とか「王と芸人」とタイトルを変えたくなる内容である。
男たちの信念と情愛を丁寧に作り込んだ、厚みと凄みのある哀切たる物語だった。

幼馴染の旅芸人チャンセンとコンギルが、時の王・燕山君(ヨンサングン)の宮廷芸人となり、重臣たちや妾の陰謀と策略の中で運命を狂わせていく話。
芸人仲間になるユッカプ三人がお笑い担当だが、芝居の下ネタにしろ、それ程可笑しさはこみ上げてこない。側近チョソンが影の悪玉かと思いきやそうでもなく。王や宮廷に巻き込まれていく芸人たちの行方と運命に焦点を絞り、暗い予感の中の緊迫感が夢中にさせた。

荒々しく野生的で嫉妬深いが、熟練した芸と話術と度胸に優れ、芸人としての誇りと自由を持つ男チャンセン。彼には”芸”と、芸と友愛で結ばれた”コンギル”しか頭にない。
ヨンサングンは暴君と呼ばれた実在の王だが、映画を観る限り、そんな風には見えない。父王へのコンプレックスで激怒し、母への思慕で涙する王の姿は哀れでならない。先代の重臣たちの権力と反発のため、王として常に孤独で頑なな状況も複雑だ。王にとって芸を見ることは、外の世界を知ることでもあり、王なりの自由への追及でもあったのだろう。

芸人としての”自由”と、王としての”自由”を求める二人の男たちは実によく喋る。感情表現も豊かでコロコロ変化する。
二人の男の間にあって、美しいコンギルは常に静かな表情で無言である。しかし誰よりも、この二人の男を理解して癒すことができた。チャンセンには友愛で、ヨンサングンには同情で、優しさの天秤で揺れ動くコンギル。
同性愛とか愛情とか、そういうものでは言い表せない魂の触れ合いを、映画は丁寧に描写して追っていく。だから三人の男たちの心が痛いほど分る。
王の愛妾ノクスの心情も、同じ女性として分り過ぎるほど分る。だから彼女も憎めない。

魅力的なキャラクターとなったのは、ひとえに役者たちの力量だ。カム・ウソンは力強く逞しく、チョン・ジニョンは危うさの中に凛々しく、其々に内面の演技も秀逸だ。
イ・ジュンギは凛とした中性的な妖しさ。女性的な身のこなしや表情をよく研究している。ただ、声が普通のソフトなローボイスなので興がわかず^^;。やっぱ”受け”は声にも魅力がないとw。
音楽が人物達の心情に寄り添い、ドラがリズム感を生んで印象的。
目が眩むばかりの赤、青、黄色や白と緑が、鮮やかで幻想的。

己の”自由”のために全てを奪い取って、王としての誇りと信念を忘れた男。
全てを失いながらも、芸人としての”自由”と誇りと信念を貫き通した男。
コンギルの魂がどちらを求めたかは必然である。
綱から解放され、自由な空の下で飛び上がる二人のストップモーションは、『明日に向って撃て』のブッチ&サンダンスに見えてしょうがなかった。いつの時代も、どんな国にも、”自由”を夢見て結ばれた男たちの魂は存在するのだなと、切ない余韻に包まれた。


燕山君(ヨンサングン)は、チャングムの時代の第11代国王中宗の前の王。「君」は国王の息子という意味で、国王の名誉はないという。
アニメの中宗の声は平川大輔だったが、ヨンサングンの声は誰がいいだろう。
映画『王の男』に吹替え版があるかどうかは分らないが、勝手に決めたキャスト(笑)。敬称略。
チャンセン:森川智之
コンギル:平川大輔
ヨンサングン:小山力也
ノクス:柚木涼香
な〜んてね♪
映画『硫黄島からの手紙』を観てきた。

クリント・イーストウッド監督による、第二次大戦末期の激戦地「硫黄島」を舞台にした二部作の第2弾、日本から見た戦いを描いたドキュメンタリー風フィクション。
制作もスタッフもアメリカなのに、役者殆どが日本人で日本語が飛び交う作品は画期的。これが外国映画だということを忘れそうだった。

期待してなかっただけに、淡々とした展開と乾いた画面から、時おりセンチメンタルな交流や会話が出てきたりと、日本人の心情も汲んだ場面も網羅されてて驚いた。思ってた以上に、日本や日本人を、日本人の戦い方を理解しようと努めた監督らの熱意や本音が伝わってきた。
日本人の視点だと、リアリティある戦争映画としては色々な不平不満が残る。戦時中の内地の様子や服装の疑問、硫黄島戦闘での時系列の不明瞭さ、日本兵の設定や悲壮感の難点など。何より日本人がこの作品を作っていたら、遺族らの哀しみや苦しみまで余すことなく描いていたに違いない。
だが監督はそれらを意図的に曖昧にしたようだ。硫黄島総指揮官と守備隊の過酷な激戦ぶりを徹底的に描くことで、兵(つわもの)と人間を追求していった。

硫黄島戦の歴史を変えた指揮官・栗林忠道。この日本人の男に心酔したイーストウッド監督は、彼をどうしても映画で描きたくて、『硫黄島からの手紙』を制作したのだろうと思える。
威張らず寛容で温厚で粘り強い日本古来の武士のような性質に、アメリカ留学で培った合理性や冷徹さも併せ持つ。彼こそ日本と米国双方の長所を備えた、まさに男の中の男「理想の軍人」像だったのだろう。

栗林中将を理想通りに描くためには、日本人の敵と味方と引き立て役が必要だ。栗林の独特の見解や命令を煙たく思って反発する幕僚や将校たち。彼らは戦闘中でも栗林の撤退意見を聞き入れず、兵を巻き込み壮絶な自決までしでかしたが、自業自得で卑劣極まりない。もちろん味方の副臣はどこまでも栗林を支えねばならぬ。

逆に、公平で温情のある栗林を慕ってついていく一般兵士も必要だ。その中で、今の状況に嫌悪しながらも栗林に助けられ信頼を寄せる兵を一人、クローズアップせねばならない。擂鉢山での死闘や自決から、やっとの思いで逃れて指揮所と合流し、栗林から労いの言葉をかけて貰った西郷はそれこそ「神」を拝む思いだっただろう。どうせ死ぬなら栗林中将と共に、死ぬ前に彼のお役にたちたいと、彼と同じ状況だったらそう願うに違いない。「二度あることは三度ある」栗林中将の言葉は、生きる希望も捨てるなの意味にもとれ、不意に涙が出てしまった(;_;)。おそらく、これが米映画だからこそ飛び出た意表をついた台詞。その台詞の重みを人柄にくるませた栗林を、渡辺謙が真摯に演じて圧巻だった。受け止める西郷役の二宮和也も、半開きの口が気にはなったが^^;、大らかな演技は評価したい。
栗林と西郷の最後の絡みは、まるで土方歳三と小姓・市村鉄之助を彷彿とさせる。進歩的見方を受け入れながらも、義と誠に生き壮烈な最期を遂げた土方と栗林中将は似ていたかもしれない。

そう考えると、栗林中将は日本人の英雄ともとれる。そう、イーストウッド監督は『父親たちの星条旗』でアメリカの作られたヒーロー像を描いたが、『硫黄島からの手紙』では日本のヒーローを描きたかったのではないか。
日本のヒーローをアメリカ人に作られるのは大きなお世話だが、この映画で知らなかった硫黄島戦闘の真実や栗林中将のことが分ったのは確かだ。本来なら日本人が戦史を掘り起こし、こうした映画を作るべきところを、アメリカ人が親切にも教えてくれたのだ。感謝せねばならない。
いや、今まで日本人はあえて戦争の事実から目を背けていた。栗林中将のことも知っていながら、採り上げることが出来なかったのだ。何故なら、日本は負けたからである。敗戦国に戦犯は必要であっても、軍人の英雄は要らなかった。

そもそも軍人や兵士の「ヒーロー」なんて存在し得るのか。戦時中にはヒーローも弱虫も関係ない。あるのは人間の死と生だけだ。ヒーローとは、平和時にあって戦争や紛争を断固として止められる者、人の命を救える者をいうのではないだろうか。
戦時中に「ヒーロー」が必要とされる仕組みは、『父親たち…』で嫌と言うほど知らされた。あの時のヒーローを象徴するアイテムは星条旗。だとしたら、アメリカ人によって作られた日本のヒーロー・栗林中将を讃えて象徴するアイテムは、土から掘り出されたあの手紙の数々だということになる。なるほど、確かに両作品は対称を成している。

今まで日本人があえて目を背けて土深く埋めてきた、戦争の真実と兵士たちの生の軌跡。もうアメリカ人の力に頼らずに、そろそろ日本人の手で掘り起こしてもいいのではないか。
そこからは、日本人が歩むべき平和への方向の手助けとなり得るモノも見つかろう。それこそ、硫黄島をはじめ、多くの戦場で命を散らせた者たちの願いでもあろう。
映画『武士の一分』を観てきた。
藤沢周平原作×山田洋次監督による時代劇三部作の最後の映画作品。

失明した下級武士が、寝取られた妻の復讐のため無謀な果し合いに挑む話。
予告を観た限り、もっと重苦しく悲劇的な物語かと思っていたが、素朴で丁寧に作られた日本独特の人情ドラマだった。

失明によって短絡的になる夫。夫のためと愚かな行為に走る妻。現代風に言えば”不倫”のひと言で片付けられそうだが、江戸時代では、互いを思いやる崇高な”夫婦愛”として描かれるのであろう。
二人に絡む下男や、上司や師匠、殿様に至るまで、現代では硬質で口煩い存在に思われるが、質素で穏やかな時代では、彼らの人情のあたたかさと笑いに満ちたやりとりに胸が熱くなる。無責任な親戚連中は置いといて、たくさんの人情で育まれた夫婦の姿は”和”を尊ぶ日本人の感性を優しく刺激するだろう。

そもそも、卑怯な手で騙したイジメッ子への、命をかけた仕返し劇なのである。そこには当然、怒りや憎しみや意地や嫉妬が渦巻くが、更に断固とした覚悟と誇りがあるところが”武士の一分”なのだろう。
己が死のうとも、相手に一太刀は報いたいと臨んだ果し合い。直前、妻の使っていた”たすき”を頭に巻いた夫は、或いはひと筋の光明を求めていたのかもしれない。いつかまた妻と一緒に生きていけたら…。その微かな望みこそ、実は彼が最後に見せた男の”一分”だったようにも思える。

木村拓哉は、失明してからの演技が見どころだ。一本芯が通った凛々しさ、暗闇の中で鈍く放つ眼光、腰の入った剣さばきなど、思いがけない魅力に見惚れた。
妻役の檀れいは、楚々とした佇まいと確かな演技力。役どころを心得た桃井かおり、緒方拳、小林稔侍が脇を締める。坂東三津五郎は濃厚な嫌味でないところがいい。

何といっても、下男・徳平を演じる笹野高史が絶妙な演技でハマリ役だ。主人やその妻への細やかな気遣いと忠義を見せ、悪たれをつかれながらも、柔軟なバネのある姿勢と飄々とした生き方を貫いていく。随所で大いに笑いをとる愛嬌と、主人から「くそったれジジイ」と言われつつ「くそったれ坊主」と言ってのける逞しさもある。主人公夫婦にはかけがえのない下男の存在。実は影の主人公はこの下男だったのかもしれない。そう、これは《家政夫は見た!》江戸庄内版物語でもあったのだw。

 ̄ ̄ ̄
これから観たい映画メモ。
『硫黄島からの手紙』『王の男』『敬愛なるベートーヴェン』『マリー・アントワネット』『蒼き狼』『蟲師』などなど。

映画『デスノート』の”L”がハマリ役だった松山ケンイチ。今度は、“L”を主役にした、『デスノート』のスピンオフ映画の製作が決定。”松ケン”ついに主役だねv。見たいぞ。アニメ『デスノート』にも、死神「ジェラス」役で声優出演。聞きたいぞ。
その前に『蒼き狼 地果て海尽きるまで』のジュチ役を見たい。

映画 パプリカ

2006年11月29日 映画
映画『パプリカ』を観てきた。
今年のヴェネチア国際映画祭や東京国際映画祭でも注目された作品。
原作者・筒井康隆が『パプリカ』をぜひ映画化して欲しいと、今敏監督とのアニメ雑誌対談で語ったという。アニメ制作はマッドハウス。

他人の夢にシンクロし共時体験する治療用装置が悪用され、人間の夢が犯され、やがて夢が現実を浸食し交錯していく、エキサイティングな世界を描く。
今監督のこの作品も、理屈や理論やストーリー性やキャラは二の次。ひたすら五感を研ぎ澄ませて、感覚に酔いながら見るのが一番だ。
ケレン味たっぷりの映像を大いに味わい、ジェットコースターな展開にナチュラルに乗っかり、リアリズムな現実描写に目を瞠り、虚構と想像力の波にどっぷり浸かれば、自分まで夢の世界に羽ばたきそうだ。
随所に散りばめられた懐かしい名画の遊びも、映画へのオマージュが感じられ、映画好きにはたまらない。ついでに今監督自作の映画まで宣伝w。一見破綻とファンタジーな映像に騙されそうだが、緻密な構成とエンターテイメント性はまさに映画作品として評価できる。

『千年女優』では限られた時空間の物語で狭まれていたが、『パプリカ』ではもっと開放的でエロチックで、はちきれんばかりな世界が展開される。
ヒロインの自信と行動力は、新生『時をかける少女』のようだ。夢の世界で様々に七変化して男を翻弄。掴みどころが無さそうな自由な女が、現実では内に秘めていた自分の恋心にようやく気付く。その恋に逃げずに向かい昇華させる。
”男の夢をも飲み込んでいく女”の姿に、新しい感性と生き方を見る思いで、女性にとっては”妙な爽快感”が湧くラストだ。

主人公パプリカ&敦子を、林原めぐみがお得意の二面性演技でセクシーに凛々しく演じる。小山内役の山寺宏一と絡めば『カウボーイ・ビバップ』が思い出される。古谷徹は天才肥満オタク科学者の時田役で、変人ぶりを怪演。阪口大助演じる氷室と時田の描写が似てて、最初は区別がつかず^^;。
舞台でも活躍のお二人が脇を締める。江守徹は渋くて重厚な存在感。堀勝之祐演じる島所長は軽快で人情深く、舞台での掘さんと比べると新鮮で快活。
最も活躍したキーマンは、大塚明夫演じる粉川刑事だろう。名画キャラをふんだんに演じ、くたびれた男の哀愁と真面目な粘り強さが出て、キュートで格好良いv。夢現ではないが、先日のナマ明夫さんの顔と粉川の顔がシンクロしそうだったw。ラストで登場した田中秀幸の若々しさも印象的。

今作の狂言回しは、バーのマスター&ウェイター。こ、これがホントに筒井氏と今監督の顔にソックリで(笑)声もこのお二人でとってもナチュラル。特に筒井氏は『日本以外全部沈没』でも見せたが、俳優の素養があると確信w。

夢や無意識の中では、現実世界で隠されていた、嫉妬や野望やトラウマが充満している。
凄まじいやり方でパプリカの身体が犯されていくシーンは、男の欲望そのままで、えぐるようにキモイ。同時に変なエクスタシーも。夢の世界でもままならない”女の性”はピリリとした蜜の味。お助けマンや協力者と、女の周りには様々な男が群がったが、彼女が選んだのは”優しく純粋な男”。リアル世界では、1人の女性と5人の男たちの攻防を描いた、普通のトレンディー恋愛ドラマにすぎないのかもしれない。

映画 手紙

2006年11月22日 映画
映画『手紙』を観てきた。
無料ポップコーン消化のためと、既に上映が始まっていた『トゥモロー・ワールド』の代わり^^;。

殺人犯で服役中の兄を持った弟が、現代社会で生き抜いていく6年間を描いた、東野圭吾の作品の映画化。
評判通り、しっかりしたストーリーと、登場人物の感情を細やかに掘り下げたタッチで、日本人好みの佳作。周りですすり泣く人達がいたが、私は泣くほどではなかった。

弟・直貴役の山田孝之は、前半は『白夜行』を引き摺り、中盤は『電車男』を彷彿とさせるような雰囲気でちょっぴり苦笑。後半は得意の太い眉毛に強い意思を滲ませて、がぜん深味のある演技。漫才シーンの表情が一番煌めいていた。
兄・剛志役の玉山鉄二は、思ったよりも出番が少ない。塀の外と同じ位には、塀の内側の状況や生活を描いていないので、犯罪者としての苦悩や葛藤が明確に感じられない。
由美子役の沢尻エリカは黙ってるといい女なんだけどね。でも彼女のように、ズケズケと人の心に入っていく思慮の足りない女って好きじゃない。彼女も過去に深い闇を持ってたし、結果オーライなんだろうけど、納得できないイヤな存在ではある。

《殺人犯の弟》ってことで、次々と職場や棲家を変えていく直貴だが、よくまあこんなに働ける場所があるもんだとそればかり感心。普通の人間だって、こんなに色々と働き口はないもんだ。一時はバーテンダーから、ホストとか水商売にいくかと思ってたが、またもや堅気の職場と綺麗な住居を見つけていて吃驚。食べて住めればいいじゃないか。
だいたい、トラブルはあったとはいえ、リサイクル工場だってお笑いだって、自分で決めて辞めたのだ。大学だって本気で行きたかったら奨学金とか色々あるハズ。資産家令嬢との結婚だって、環境の違いや婚約者がいる時点でムリなのは承知。《殺人犯の弟》だから全てが上手くいかない…ってわけじゃない。

それ以上に彼の周りには、親友や見守る人がいて沢山の繋がりがある。そして大人たちはみな彼をいい意味で導く。
資産家の父は、もっと直貴を罵倒するかと思っていた。家電メーカー社長や被害者の息子は、何という包容力を持ち得ているのか。私にはとてもあんな立派なことは言えない。「差別のない国を探すんじゃない。君はここで生きていくんだ」と直貴を諭した社長は軽くびっこをひいていた。この男もきっと過去に色々な経験をされて、時に差別を受けて這い上がってきたのかもしれない。被害者の息子は直貴を家に招き入れて、「終らせたい」とまで言ってくれた。
冷めたスパゲティより、酸っぱいみかんや苦いコーヒーが心に染み入ることがある。

「刑務所にいても罪を償うことはできない」「肉親を殺した犯罪者を許すことは永遠にできない」あらためて認識すると共に、それでも人間は時が経てば「終らせることはできる」のだと感じた。「終らせるための手紙」というものが、こんなにも切なく潔いものなのかと。
直貴の場合は《殺人犯の弟》というレッテルで差別されたが、世の中には様々な理由と事情で、差別と偏見とイジメに合っている人がたくさんいる。この世に差別の無い国や場所なんてありゃしない。だから、時には逃げて時にかわすのもいい。だが人と交わることからは避けられない。この社会に飲み込まれないように人は生きるしかないのだ。
桜に始まり桜で終らせる。検閲印になぞらせた、余韻の残る終わり方だった。

余談。
砂場で遊ばせる時はスカートよりズボンやスモッグを。お友達の道具を黙って使わせないようにw。
刑務所での漫才シーンが電車や駅ネタだったので結構楽しめた(これで涙を出し損なったのかもw)。直貴が「ウチの兄貴は…」で言葉を詰らせたが、その後ネタを私まで一緒に考えてしまった。「ウチの兄貴は…字がめっちゃ汚いんですよ。アノ藤原竜也に匹敵するぐらいに(笑)そのせいか顔もめっちゃ男前ですわ」とかさ(^^ゞ。
もしこの兄が誰かの罠にハマり、無実なのに濡れ衣を着せられ死刑囚として監獄に入ったら、頭のいいこの弟は兄を助ける為に全力を尽くすだろうか。と、つい『プリズン・ブレイク』が浮かんじゃう^^;。
もし兄ではなく、弟のほうが犯罪者だったら、もっとクールな物語になっていたとも思う。

< 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27

 

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索